東洋ゴム工業のルーツ

当社は、1945年8月、第二次世界大戦が終わりを告げる直前に、新たな時代への希望を託されて産声を上げました。

当社誕生のルーツ

当社誕生に至るまでの軌跡は、「東洋ゴム化工」と「平野護謨製造所」という二つの会社にルーツがあります。

東洋ゴム化工株式会社

1938年、東洋紡績(現・東洋紡株式会社)によって設立された「内外再生護謨」を前身とする東洋ゴム化工は、数々の合併や買収を重ね、規模を拡大していきました。1941年に太平洋戦争が勃発し、戦時体制が強化されたことに伴い、ゴムメーカーは一定の供給規模を求められることとなり、東洋ゴム化工は急遽、生き残りをかけて他のメーカーの自動車タイヤ部門を吸収し、単独での残存資格を得ました。

株式会社平野護謨製造所

一方、1890年に創業した平野ゴムは工業用パッキングやホース類を製造していた草分けでしたが、戦時下の1943年、軍の管理工場となり、増産要請に対応するために後援者を求めていたところ、東洋紡績が資本参加して株式会社平野護謨製造所が設立されました。

戦災を乗り越えて合併へ

東洋ゴム化工、平野護謨製造所がそれぞれ本格的な事業拡張に取り組んでいた矢先の1945年、東洋ゴム化工は6月に、そして平野護謨製造所は7月に、大空襲によって生産工場が戦火に包まれ、甚大な被害を受けました。大事な設備や製品を一瞬にして失い、 呆然とたたずむ社員の様子が当社の50年史にも記録されています。

東洋ゴム化工と平野護謨製造所は、両社相互に協力して工場復旧に臨み、この戦災を乗り越えるために合併を経て、「東洋ゴム工業株式会社」として新たな歴史の扉を開いたのです。

西暦 和暦 東洋ゴム化工 平野護謨製造所
1890年 (明治23年) -   「株式会社平野護謨製造所」の前身である「平野光三郎商店」が創業
1894年 (明治27年) 5月   平野光三郎商店 が平野ゴム製造所に改組
1938年 (昭和13年) 5月 「東洋ゴム化工株式会社」の前身である「内外再生護謨株式会社」を東洋紡績株式会社(現・東洋紡)が設立  
6月 内外再生護謨が友屋ゴム製造所を買収  
10月 「東洋ゴム化工株式会社」に社名変更  
合資会社島田護謨製造所を合併  
1939年 (昭和14年) 2月 武川ゴム株式会社を合併  
株式会社内田調帯製造所を合併   
1941年 (昭和16年) 1月 日産護謨工業株式会社を買収  
株式会社浪萃号ゴム工業所を買収  
3月 旭化工株式会社を買収   
7月 曾根タイヤ製造所を買収    
9月 木多式調帯製造所を買収  
大阪ゴム調帯製造所を買収    
1942年 (昭和17年) 6月 日本輸業ゴム株式会社、内外護謨合資会社の自動車タイヤ部門を買収  
11月 金田護謨工業株式会社の自動車タイヤ部門を買収   
1943年 (昭和18年) 3月 東洋紡績より、神崎第3工場を賃借。本格的に、自動車タイヤの製造に乗り出す  
12月   東洋紡績が資本参加して「株式会社平野護謨製造所」が設立
1944年 (昭和19年) 9月   東洋紡績より西成工場を現物出資される
1945年 (昭和20年) 6月 空襲により主力の神埼第3工場が甚大な被害を受ける  
7月   空襲により堺工場が建物、機械ともに甚大な被害を受ける
8月

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